大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成6年(行ウ)76号 判決 1999年8月11日

原告

金井フミコ

右訴訟代理人弁護士

小島延夫

上柳敏郎

山口泉

安藤朝規

岡村親宣

玉木一成

被告

中央労働基準監督署長

古屋英明

右指定代理人

本間文男

外二名

被告

東京労働者災害補償保険審査官

常光英照

右被告両名指定代理人

齋藤紀子

外一名

主文

一  被告中央労働基準監督署長が、労働者災害補償保険法に基づき、平成二年三月三一日付けで原告に対してした、遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。

二  原告の被告東京労働者災害補償保険審査官に対する訴えを却下する。

三  訴訟費用は、原告と被告中央労働基準監督署長との関係では同被告の、原告と被告東京労働者災害補償保険審査官との関係では原告の、各負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  主文第一項と同旨。

二  被告東京労働者災害補償保険審査官(以下「被告審査官」という。)が、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づき、平成五年一一月三〇日付けで原告に対してした審査請求を棄却する旨の決定(以下「本件決定」という。)を取り消す。

第二  事案の概要

本件は、製本業を営む事業主の下で断裁工として勤務していた金井義治(以下「義治」という。)がくも膜下出血を発症して死亡したのは、業務に起因するものと主張して、同人の妻である原告が、労災保険法に基づき、被告中央労働基準監督署長(以下「被告労基署長」という。)に対して遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したが、平成二年三月三一日付けで遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)を受け、被告審査官に対して審査請求をしたが、本件決定を受けたため、本件処分及び本件決定の取消しを求めている事案である。

一  争いのない事実

1  義治(昭和八年二月一一日生)は、昭和二七年八月、雑誌を中心とした製本業を営む永井製本株式会社(本社所在地 東京都文京区白山<番地略>。以下「会社」という。)に雇用され、以来、断裁工として会社に勤務していた。昭和六二年(以下、特に断らないときは、昭和六二年を指す。)当時、会社全体の従業員は、パートを含めて約四五名であったが、断裁工は義治のみであった。

2  義治は、一一月二八日(土曜日)、午前八時に断裁作業に取りかかってから約一時間三〇分経過したところでトイレに立ち、午前一〇時一〇分ころトイレ内で意識を失い心肺停止状態で倒れているところを発見され、救急車で日本医科大学附属病院救命救急センター(東京都文京区千駄木<番地略>所在)に搬送され、午前一一時四九分死亡が確認されたが(当時五三歳)、同人の死亡はくも膜下出血の発症(以下、「本件発症」という。)によるものであった。

3  義治の妻である原告は、同人の死亡は業務に起因するものであるとして、労災保険法に基づき、被告労基署長に対して遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したが、平成二年三月三一日付けで本件処分を受けた。原告は、これを不服として、同年五月二九日被告審査官に対して審査請求をしたが、平成五年一一月三〇日付けで本件決定を受けた。さらに、原告は、労働保険審査会に対して再審査請求をしたが、平成九年三月二四日付けで棄却の裁決を受けた。

二  主な争点

1  本件発症の業務起因性の有無

2  本件決定の固有の瑕疵の有無

三  当事者の主張の要旨

1  争点1(本件発症の業務起因性の有無)について

(一) 原告

義治の死亡は業務に起因するものである。その理由は次に述べるとおりである。

(1) 本件発症の原因等

ア 本件発症の原因は、脳動脈瘤の破裂である。

イ 脳動脈瘤の形成・拡大には、脳動脈の先天的な中膜欠損が重要な因子になっているが、それのみで足りるものではなく、絶え間のない血行力学的負荷の存在が不可欠である。この血行力学的負荷は、精神的・肉体的ストレスや疲労によって上昇し、瘤壁の脆弱化を促進する要因となる。

これに対し、瘤壁を脆弱化から修復する要因も存在し、このバランスが崩れると、破裂準備状態にあった動脈瘤が破裂する。瘤壁を脆弱化から修復するためには睡眠が不可欠である。なぜなら、睡眠は、血圧を低下させて血管に対する負荷を軽減させ、睡眠を十分に取ることができずに長時間過度の緊張状態(交感神経優位の状態)が続くと、血管壁に対する種々の攻撃因子が増大し、血管壁の損傷を加速するからである。

(2) 本件発症と業務との関係

ア 断裁工としての義治の業務は、平台と呼ばれる、縦一メートル以上、横1.5メートル以上の紙を一度に数百枚も扱うもので、これを正確に断裁するためには高度の注意力が必要とされる、それ自体、肉体的・精神的負荷の高い業務であるが、義治は、入社以来長期間にわたって継続的に右業務に従事してきた。

イ 毎年一一月は、会社にとって年間で最も多忙な時期となるが、これは、雑誌の新年号の製本作業のためである。中でも、「婦人倶楽部」新年号は、通常号と比べて断裁すべきものの種類及び量が多く、また、新年号の華やかさを出すために質的に難しい作業が加わり、断裁作業の負担は大きい。昭和六二年一一月も、例年同様多忙を極め、義治は、同月一〇日ころから連日三時間以上の残業を余儀なくされ、同月二五日ころ「婦人倶楽部」新年号の断裁作業に着手したが、助手が欠勤したため、一人でその作業のすべてを行わざるを得ず、業務による肉体的・精神的負荷が増大した。その一方で、会社の人間関係からくる精神的ストレスがあり、通勤時間の長さ(通勤時間は、交通機関の連絡のよい朝で約一時間一〇分、連絡が悪くなる夕方では一時間三〇分近く、夜遅くになると一時間四〇分以上かかる。)もあいまって、義治の睡眠時間は一日当たり六時間を切っていた。このような中で、義治は、死亡一〇日前ころ及び二日前に激しい頭痛に襲われ、死亡当日も体調不良と頭痛を訴えていたにもかかわらず、業務に従事せざるを得なかったため、本件発症に至ったものである。

なお、従前、被告労基署長は、義治が一一月二五日から「婦人倶楽部」新年号の断裁作業に従事した旨の主張をしていたのに、これを、義治が「婦人倶楽部」新年号の断裁作業に従事する前に死亡している旨の主張に訂正したが、右主張の訂正は自白の撤回に当たるものであるから許されず、右訂正に異議がある。

ウ 以上のとおり、義治は、入社以来長期間にわたって継続的に長時間労働を強いられ、この過程で脳動脈瘤の形成・拡大が促進されたものと思われる。そして、一一月一〇日ころからの連日の残業等で肉体的・精神的負荷が増大する一方、睡眠時間は不足し、脳動脈瘤の形成・拡大の促進要因と修復要因のバランスが大きく崩れていき、死亡前日午後九時ころまで残業したことで大きな負荷が加わり、死亡当日寒冷下で作業したことも身体への大きなストレスとなって、脳動脈瘤が破裂するに至ったものである。

(3) 結論

以上によれば、本件発症は、業務に内在する危険が現実化したものであるから、本件発症は業務に起因することが明らかである。

(二) 被告労基署長

本件発症は業務に起因するものではない。その理由は次に述べるとおりである。

(1) 本件発症の原因等

ア 本件発症の原因としては、脳動脈瘤の破裂が考えられるが、高血圧性脳内出血の脳室への穿破(これによるくも膜下出血の発症)の可能性も否定できない。

イ 脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血について、現時点における医学的コンセンサスとしては、脳動脈中膜の部分的欠損等の先天的因子に高血圧等の後天的因子が加わり、更に血行力学的因子が関与して、脳動脈瘤が発生・拡大するものと考えられている。

脳動脈瘤は、動脈瘤壁の負荷がある強度を超えたときに破裂するもので、脳動脈瘤の内圧の上昇と容積の増大に比例して動脈瘤壁が薄くなり、脳動脈瘤の進展が臨界状態に達したところで、一過性に脳動脈瘤の内圧が上昇することによって破裂に至るものである。したがって、脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血は、いつ、どのような状況下でも発症し得るものであり、約三分の一が感情興奮、排便、性交、激しい労働等の血圧上昇を招くときに、約三分の一が安静時に、残りの約三分の一が睡眠中に発生しているとの報告がある。以上によれば、くも膜下出血の発症のすべてが労働と密接な関連を持つものでないことは明らかである。

くも膜下出血など脳血管疾患の危険因子としては、高血圧、喫煙、飲酒、肥満等があるが、くも膜下出血の原因となる脳動脈瘤は、長年の間に形成されるものであるから、遺伝的要因による個人的素因、生活習慣も危険因子に挙げられる。また、脳動脈瘤自体も血管の一部であるから、加齢も、血管壁の老化や動脈硬化を伴うものとして、危険因子となるものである。なお、脳動脈瘤の進展には血圧ないし血管内圧が影響を及ぼすが、前記のとおり、いわば日常生活のすべての行為は一過性の血圧変動要因といってよいから、脳動脈瘤の進展の要因としての血圧を考える上では、肉体的運動、精神的緊張等に基づくもののみならず、日常生活におけるあらゆる活動によって動脈瘤の脆弱化がもたらされることに留意しなければならない。

(2) 本件発症と業務との関係

ア ある疾病が業務に起因するものであるといえるためには、業務と疾病との間に相当因果関係が存在することが必要であるが、この相当因果関係の有無は、業務と疾病との間に条件関係があることを前提として、当該疾病の発症が業務に内在する危険が現実化したものといえるかどうかによって判断すべきである。そして、脳血管疾患は、その発症の基礎となる動脈硬化等による血管病変又は動脈瘤等の基礎的病態が加齢や日常生活における諸種の要因によって増悪し発症に至るものがほとんどであるから、業務に内在する危険が現実化して発症したものといえるためには、業務上の要因が業務外の要因に比べて相対的に有力な原因となっていること、すなわち、業務による精神的・肉体的負荷が血管病変等を自然経過を超えて急激に著しく増悪させたと認められることが必要である。結局、この考え方によれば、脳血管疾患が業務に起因するものであるといえるためには、業務に関連する異常な出来事に遭遇したと認められるか又は特に過重な業務に従事したと認められることが必要となるものである。

イ 断裁作業の工程は、紙そろえ機でそろえた平台を断裁機に移動させて所定の寸法に切ることを内容とするが、紙そろえ機及び断裁機の表面にはエアー穴が開いていてエアーが吹き出し、平台が浮いて流れるように移動させることができるし、断裁機での断裁も、コンピューターに入力した寸法と順序に基づき、平台に印刷されたトンボと呼ばれる目印に従って行うものであるから、寸法の決定等に気を使うことはごくわずかである。また、本件発症当時、断裁自体は義治一人が担当していたことは事実であるが、会社の監査役である永井正吉(以下、「正吉」という。)が助手を勤め、紙そろえ機で平台をそろえる作業までをしていたものであるから、その分、義治の負担は軽減されていたということができる。そもそも、義治は、入社以来三五年間一貫して断裁工として勤務してきたベテランであるから、このような熟練者である義治が日常的に行っていた作業に精神的重圧を感じていたとは到底いえないことが明らかである。

そして、義治は断裁作業以外に特別な作業はしていないし、休憩時間、昼食時間はきちんと定められ、残業時間もそれほど長時間に達しているわけではないから、通勤時間を考慮しても、義治は、十分な睡眠時間、休息時間をとることができたはずである。なお、発症前の三か月間の勤務状況を見ても、義治の労働時間は、実働日数及び残業時間数において、同僚労働者である田中留男や鈴木重夫よりも少ない。もっとも、会社は、例年、一一月下旬から一二月初旬にかけて繁忙期を迎えるが、これは、「婦人倶楽部」新年号の製本作業に入ることによるものであるところ、義治は、「婦人倶楽部」新年号の断裁作業に従事する前に死亡している(被告労基署長は、従前、義治が一一月二五日から「婦人倶楽部」新年号の断裁作業に従事した旨主張していたが、右主張を、このように訂正する。)から、「婦人倶楽部」新年号の断裁作業は、義治における業務の負荷を検討する上で関連性がない。

ウ 以上のとおりであるから、義治が死亡当時従事していた業務による負荷の程度も通常の業務の範囲内のものであり、特に過重な業務に従事したということはできない。

その一方で、義治が、長年の飲酒の習慣の下で、高血圧傾向、高脂血症、肝機能異常等、極めて不健康な状態にあったことを合わせ考えると、本件発症は、義治が有していた血管病変等が自然経過により増悪した結果によるものであることは明らかであり、業務と本件発症との間には、相当因果関係はもとより、条件関係も認められないから、本件発症の原因が脳動脈瘤の破裂又は高血圧性脳内出血の脳室への穿破のいずれであるにせよ、本件発症及びこれによる義治の死亡は業務に起因するものとはいえない。

(3) 結論

以上によれば、本件発症は、業務に内在する危険が現実化したものとはいえないから、本件発症は業務に起因するものではない。

2  争点2(本件決定の固有の瑕疵の有無)について

(一) 原告

(1) 本件決定の手続には次のような瑕疵がある。

ア 被告審査官は、原告が再三要求したにもかかわらず、被告労基署長から提出された書類等の閲覧を全くさせなかった。これは、行政不服審査法(以下、「行審法」という。)三三条二項に違反する。

イ 被告審査官は、原告が再三要求したにもかかわらず、適格性のある医師による鑑定を行わず、医師としての経験をほとんど有しない浦田純一医師に意見を求めた。これは、行審法二七条に違反する。

ウ 行政事件訴訟法八条二項一号の趣旨等から見て、被告審査官は、正当な理由がない限り、審査請求から三か月以内に決定をすべきであるのに、本件決定は、審査請求から三年半余りを経てようやく行われた。このような手続遅延は違法である。

(2) よって、本件決定は取り消されるべきである。

(二) 被告審査官

(1) 本件決定の手続に瑕疵はない。その理由は次のとおりである。

ア 労災保険法三五条一項による審査請求については、行審法三三条二項の適用は排除され(労災保険法三六条)、これに代えて労働保険審査官及び労働保険審査会法(以下「労審法」という。)に手続規定が設けられているが、同法には労災保険法三五条一項による審査請求について審査請求人に関係書類等の閲覧を認める規定は存在しない。したがって、被告労基署長から提出された書類等の閲覧拒否をもって、本件決定の手続に瑕疵があるということはできない。

イ 労審法一五条一項が定める審査官の「処分」に当たる鑑定の採否、鑑定人の選定、医学的所見の収集は、専ら審査官の裁量に委ねられているものであるから、浦田純一医師に意見を求めたこと、その他の医師に鑑定をさせなかったことは、被告審査官の裁量の範囲内の事項である。

ウ いつ審理を終了すべきかは、審査官の権限と責任に委ねられており、審査請求から三か月以内に決定しなかったとしても審査手続が違法になるものではなく、また、本件決定は長期間経過後にされたものでもないから、その手続に瑕疵はない。

(2) よって、本件決定の取消しを求める原告の請求は失当である。

第三  当裁判所の判断

一  争点1(本件発症の業務起因性の有無)について

1  義治の業務内容

証拠(甲一〇、一八、二〇、二二、四七、乙二六、四七の1ないし7、四八ないし五一、丙二、検甲一ないし四、五の1、2、検乙一、証人大塚孝雄、同永井正吉、同所進、同柳田栄一、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一) 昭和六二年当時、会社は、本社建物内にある第一工場で主に月刊雑誌の製本を、同建物裏にある第二工場で主に週刊雑誌の製本を行っていたが、義治は第一工場で断裁工として勤務していた。

(二) 会社における第一工場関係の製本作業は、およそ、断裁→折り・張り付け→丁合・バインダー→三方断裁→結束という順序で行われる。

断裁は、会社の製本作業の最初の工程であって、印刷業者から搬入される、一冊の本に綴られる同一の内容のものが幾単位も印刷された平台と呼ばれる一枚の大きな紙(最大で、横一二〇センチメートル、縦九〇センチメートルの大きさのもの)を、各単位の大きさに切り分ける作業をいうものである。折り・張り付けは、断裁処理が終わったものを一冊の本に綴るために必要がある場合に行われる加工工程で、このうち、折りは断裁処理が終わったものを折る作業を、張り付け(「張り込み」ともいう。)は断裁処理が終わったもの(葉書などの場合)を別の紙に貼り付ける作業を、それぞれいうものであるが、会社において、これらの作業は、通常、下請業者への外注によってまかなうものとしている。丁合は、断裁処理が終了したもの(折り・張り付けが必要な場合には、これら加工作業も終了したもの)と輪転(印刷業者から搬入されたもののうち、断裁処理が不要で、そのまま一冊の本に綴ることができるもの)とを合わせ、一冊の本のページの順序に綴り合わせる作業を、バインダーは、綴り合わせたものを固定する作業を、三方断裁は固定したものの三方の周辺部に残された不要な余白部分を切り落とす作業を、それぞれいうものである。結束は、以上のようにして仕上がった本を出荷しやすいように梱包する作業をいうものである。

(三) 以上のうち、断裁の作業手順は、およそ、次のとおりである。

① まず、印刷業者から搬入されるパレット(荷台)に積載された平台を電動リフトで紙そろえ機の側まで運び、リフトを操作して紙そろえ機に移しやすい高さまで平台を引き上げる。そこから、一度に一二〇ないし一三〇枚程度の平台を手に持って紙そろえ機に移すが、その都度、持った平台を上下に揺すって紙の間に風を入れるようにし(こうすることで、紙と紙の間のブロッキング(くっつき)がなくなり、紙がそろいやすくする。)、こうして、五〇〇枚程度(平台を構成する紙が厚い場合)ないし一〇〇〇枚程度(平台を構成する紙が薄い場合)の平台を紙そろえ機の台上に積み重ねる。このとき、紙そろえ機の台は水平ではなく、長方形の台の直角に接する二辺に鍵の手状に取り付けられている囲いの、ほぼ中間方向(二辺が直角に接する、角の方向)に傾斜させてあるが、平台を紙そろえ機の台上に移すに当たっては、これら二辺の囲いに密着するようにし、台を振動させることによって(紙そろえ機の台を傾斜させると、台は自動的に振動する。)、台上の平台の紙そろえ(「つきそろえ」ともいう。)を行う。紙そろえ機の台には、平台を動きやすくするため、複数の小さなエアー穴が付いていて、台に重みがかかると自動的に微弱なエアーが吹き出す構造になっている。紙そろえが終わると、紙そろえ機の台を水平にし、断裁機に隣り合った側の囲いを倒して断裁機の台と接続させる(これら一連の作業を、以下「①の作業」という。)。

② 紙そろえが終わった平台は、断裁機と接続した状態にした紙そろえ機の台上から断裁機の台上に移すが、この作業は、紙そろえが終わった五〇〇枚ないし一〇〇〇枚程度の平台の全部(平台は相当の厚みを持ち、十数センチメートル程度になることも珍しくない。)を、紙そろえ機の台上から断裁機の台上まで、崩れないように保持しながら、手で一挙に押すようにして行う。なお、断裁機の台にも、平台を動きやすくするため、複数の小さなエアー穴が付いていて、台に重みがかかると自動的に微弱なエアーが吹き出す構造になっている。

ところで、平台を断裁機にかけるに当たっては、あらかじめ、切り分けの寸法を確定しなければならないが、これは、対象となる雑誌の種類、雑誌の部分のいかんによって、様々に異なる。したがって、ある平台を断裁機にかけるに当たっては、印刷業者から送付される作業仕様書を見て、製本様式、仕上がり寸法等を確認した上で、当該平台のハリ(平台の一側端に印刷された短い棒状の記号で、これが印刷された側が印刷物の位置関係の基準となるもの)、クワエ(平台の一側端に刻印された印刷機械のつまみ跡で、これが刻印された側が、ハリとともに印刷物の位置関係の基準となるもの。なお、ハリとクワエは、平台の直角に接する二辺の、それぞれ一方に位置している。)、トンボ(平台中の印刷物の相互の位置関係を明らかにするために印刷された線状の記号)等に基づいて検尺を行い、切り分けの寸法をミリ単位でできるだけ正確に確定する必要がある。

会社が昭和五七年断裁機のコンピューター化を実現して以降、平台の断裁処理は、こうして確定させた切り分けの寸法を断裁機のコンピューターに入力して行うようになったが、寸法情報を入力すればそれだけで断裁機が自動的に断裁処理を進めるというものではなく、平台を崩れないように保持しながら、手で押して断裁機の開口部に入れ、平台が奥の障壁に当たったところでこれを障壁に押しつけて固定しておき、開口部の上側から刃を下降させて平台を押し切りにし(下降した刃は瞬時に開口部の上側に戻る。)、しかる後、平台を台上で回転させて平台の他の側を断裁機の奥の障壁に押しつけて固定する動作を何度か繰り返すという手作業によって、断裁を行うものである。すなわち、寸法情報は、このような平台の出し入れの順序と組み合わせてコンピューターに入力され、奥の障壁が入力された寸法情報と順序に従い、深く浅く自動的に位置を変えていき、平台が奥の障壁に押しつけられてぴったりと固定されていることを前提として、平台の断裁箇所が刃の真下に来るようになっているが、断裁工は、刃が降りるべき位置にあらかじめ照射される光線を視認して断裁箇所を確認しながら、ボタン操作で刃を下降させることを繰り返すものである。また、断裁工は、断裁機の前面に終始立ったままの姿勢で作業を行うが、この点は、コンピューター化の前と変わりがない。

(これら一連の作業を、以下「②の作業」という。)

③ 最後に、断裁処理が終わった印刷物は、一まとまりになった相当量ずつを、手に持って断裁機の台からパレットに下ろして積載するが、印刷物を加工作業のため外注に出す場合には、結束機で結束した上でパレットに積載する(右作業を、以下「③の作業」という。)。

(四)  これらの作業に要する肉体的、精神的な負担の程度については、次のとおりである。

(1)  まず、②の作業については、相当の厚みと重量のある平台を紙そろえ機から断裁機に移すに当たっては手作業によっているし、断裁中は、平台を崩さないように注意しながら、一回一回、これを断裁機の奥に押しつけて固定したり、回したりすることを間断なく繰り返さなければならないことには変わりがなく、しかも、右手作業は、終始、立ったままの姿勢で行うことを余儀なくされる。したがって、②の作業は、断裁機の台のエアー穴から平台を動きやすくするエアーが吹き出す構造になっているとはいえ、全体として、それ自体、肉体的に負担の大きい作業ということができる。

他方、断裁機の操作は、平台の種類に応じてあらかじめコンピューターに入力した寸法情報に基づいて行うことができるようになったため、同一種類の平台(毎号の雑誌など)の場合であれば、いったん寸法情報を入力してあれば、断裁工は、その後も、かつて入力した過去の寸法情報を呼び出すことが可能となったので、その点では省力化が進んでいる。しかし、このような場合でも、平台を印刷する印刷機が違えば寸法に微妙なずれが生じやすく、印刷仕様そのものが変わることもあるので、過去の入力情報だけに頼ると失敗するおそれがあるため、その都度実物を見ながら検尺して寸法を確定してから実際の断裁に入ることが少なくない。そして、寸法の確定はミリ単位でできるだけ正確に行う必要がある一方で(ミリ単位の測定の誤りでも、断裁の結果、印刷物の一部が欠けるいわゆる字切れをもたらす場合がある。)、断裁にいったんミスが生ずると、相当量の平台を使用不能にして会社に経済的損失を生じさせ、断裁に続く製本作業の日程にも狂いを生ずることにもなる。したがって、②の作業は、それ自体、精神的にも負担の大きい作業ということができる。

(2)  次に、①の作業については、相当量の平台を手に持ってリフトから紙そろえ機に移さなければならないし、その都度、平台を上下に揺すって紙の間に風を入れるようにするという動作も必要とされるから、このような作業内容からすれば、ある程度の肉体的な負担を要する作業ということができる。③の作業については、比較的小さな一まとまりの印刷物を、手に持ってパレットに下ろすというものであるから、それほどの肉体的な負担を要する作業ということはできない。

(3) なお、断裁以外の製本作業の工程を見ると、丁合は、自動丁合機の所定の位置に頁の順序に従って紙をセットすれば機械が自動的に紙を綴り合わせて本の体裁にするもの、バインダーは、綴りの部分に接着剤を付けて固定し、一冊の本にするもの、三方断裁は、丁合・バインダーが済んだ本の背部分(綴りの部分)以外の三方を、三方断裁機が自動的に切りそろえて本として仕上げるもの、梱包は、三方断裁機から自動的に積み上げられて送られる完成した本を梱包機にセットすると、機械が自動的に梱包を行うもので、以上の各作業に従事することによる肉体的ないし精神的な負担は、いずれも、それ自体としては、さほど大きいものではない。

2  義治の勤務状況

証拠(甲五、九の1ないし13、一〇、一一、一八、二〇、二二、二四、四四、乙三、二一ないし二五、二八の1ないし4、三〇、三三、三四、五二ないし五五、丙三、証人永井正吉、同所進、同柳田栄一、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一) 会社における義治の地位

義治は、昭和二七年八月会社に雇用されて断裁工となり、製本業務のベテランとして、死亡当時まで約三五年間断裁の業務に従事した。義治は、寡黙であるが、責任感が強く、仕事振りは真面目であった。

会社の断裁工は、昭和五六年までは、義治のほかにも一名いたが、同年一〇月その一名が退職してからは義治一人だけになった。もっとも、同年七月ころまでは永井日出海(以下、「日出海」という。)が、そのころから昭和五九年ころまでは交替で複数の従業員が、昭和六〇年初めころから昭和六二年当時までは正吉が、それぞれ、助手として義治の業務を手伝い、①及び③の作業を行っていた。しかし、正吉は、午後六時までしか義治の業務を手伝わなかったため、昭和六〇年初めころ以降、残業がある場合でも、残業時間中の断裁の業務の全部を、義治が単独で行っていた。

(二) 会社の勤務体制と義治の出退勤

昭和六二年当時、会社の勤務体制は、始業時間が午前八時、終業時間が午後五時、休憩時間が正午から午後一二時五〇分まで及び午後三時から午後三時一〇分までの二回(合計一時間)、所定労働時間が八時間、所定休日が日曜日及び祝日とされていた。午後五時以降の残業の場合は、午後六時から午後六時三〇分までが休憩時間とされ、この間、従業員は、会社の負担で近くのそば屋で食事をした。

義治は、埼玉県川口市所在の自宅に原告及び次女と共に居住し、同所から東京都文京区白山所在の会社まで、バス、電車、地下鉄等の交通機関を乗り継いで通勤していたが、朝の通勤時は、毎朝午前六時過ぎに自宅を出て、おおむね午前七時二〇分台に会社に出勤するようにしていた。義治の通勤時間は、交通機関相互の連絡がよい朝の場合は片道約一時間一〇分程度であったが、連絡が悪くなる夕方の場合は片道約一時間三〇分近く、更に夜遅くなると最寄り駅から自宅付近までのバスの便がなくなるため、片道約一時間四〇分程度かそれ以上を要した。

(三) 会社における人間関係

昭和五〇年代の半ばまでは、会社の代表取締役永井熊吉(以下、「熊吉」という。)の弟の一人である専務取締役永井猪之吉(以下、「猪之吉」という。)が、長年にわたって会社業務を指揮し、義治も同人の下で仕事を覚えた。しかし、昭和五四年ないし五五年ころから、熊吉の息子である永井勇が熊吉の後継者の立場で会社業務を指揮し始め、これに伴い、熊吉も猪之吉をうとんじ、会社内の人間関係に何かと波風が生じてきたため、義治は、会社内での人間関係にあつれきを感ずるようになった。このような中で、昭和五六年七月、そのころまで義治の助手を勤めていた猪之吉の息子である日出海が会社を辞めて、従業員二、三人程度の小さな製本事業を始め、義治も日出海から行動を共にするように誘われたが、会社にとどまった。このため、義治は、猪之吉からも冷たくされ、その後、昭和六〇年初めから義治の助手を勤めるようになった熊吉の末弟である正吉とも、お互いに一線を画したような関係が続き、このような状態は本件発症時まで変わらなかった。

(四) 過去一年間の勤務状況

本件発症までの過去一年間、すなわち、昭和六一年一二月度ないし昭和六二年一二月度(各月とも前月二六日から当月二五日まで)の義治の勤務状況を見ると、所定労働日数、実際の勤務日数及び残業時間(0.5時間単位)は、それぞれ、昭和六一年一二月度が二六日、二八日、72.5時間、昭和六二年一月度が二四日、二〇日、一九時間、同二月度が二六日、二八日、四九時間、同三月度が二三日、二六日、33.5時間、同四月度が二七日、二九日、五六時間、同五月度が二二日、二四日、四一時間、同六月度が二七日、二四日、二二時間、同七月度が二六日、二六日、18.5時間、同八月度が二六日、二五日、二四時間、同九月度が二五日、二六日、二五時間、同一〇月度が二四日、一八日、一六時間、同一一月度が二五日、二七日、五〇時間、同一二月度が三日、三日、七時間である。

第一工場関係の業務は、例年、一一月半ばから一二月までの期間が最も繁忙な時期に当たっているが、義治の勤務状況も、第一工場関係の業務のこのような例年の傾向を、おおむね反映したものとなっている。

(五) 一一月の勤務状況

一一月一日以降の義治の出退勤時刻は、別表(一)のとおりである。

これによれば、義治は、第一週は、出勤日のうち四日間がほぼ定時退社で、他の二日間も午後六時ころには退社していたのに対し(ただし、後記のとおり、この間の祝日にも出勤している。)、第二週以降の期間に入ると、同月一〇日(第二週の火曜日)から本件発症の前日である同月二七日(第四週の金曜日)まで、毎週月曜日ないし土曜日の所定労働日のどの日も退社時刻が八時過ぎであって、連日その時刻ころまで残業労働に従事し、格段に忙しくなったことを示している。また、会社において、祝日は所定休日とされているが、義治は、一一月三日(文化の日)に加え、同月二三日(勤労感謝の日)も、始業時刻までに出勤し、終業時刻ころまで会社に勤務している。

例年、この時期に義治が従事する断裁の作業内容は、一一月初めころに雑誌「壮快」及び「婦人倶楽部」の各一二月号、次いで「婦人倶楽部」新年号の付録の家計簿、一一月の中ころに「小説現代」、「シスター」及び「たのしい幼稚園」の各新年号の断裁を済ませた後に、一一月下旬から「婦人倶楽部」新年号の断裁に入るというものである。これら月刊雑誌の新年号は、他の号と比較して、発行部数が多いため、断裁量が増えるだけでなく、質的にも作業の難度の高いものが含まれるという傾向にある。ところが、月刊雑誌の性格上、発行時期を動かすことができず、製本の納期を厳守しなければならないところから、毎年、この時期の会社は繁忙を極め、断裁の作業も、格段に忙しくなる。

昭和六二年の場合も、義治は、右のような日程で作業を進めていたものであって、一一月一〇日以降になると、所定の断裁量を消化するため、前記のように、連日午後八時過ぎころまで残業労働に従事することを余儀なくされたものである。

(六) 本件発症の直前の勤務状況

本件発症の直前である一一月二五日(水曜日)、二六日(木曜日)及び二七日(金曜日)の義治の勤務状況を見ると、いずれの日も午前七時二〇分台に会社に出社し、退社時刻は、二五日が午後八時〇六分、二六日が午後八時一一分、二七日が午後九時〇七分で、いずれの日も、その時刻ころまで残業労働として断裁の業務に従事していたものと考えられる。

ところが、右三日間については、当時、義治の助手として①及び③の作業を受け持っていた正吉が、二五日及び二七日には持病の治療のために病院に行き、二六日には自宅にいて、結局、右三日間とも、全く助手の仕事に従事しなかったため、この間、義治は、①ないし③の作業のすべてを、残業終了に至るまで、終始単独で処理しなければならないことになった。このため、同時期の断裁業務の対象となるものが量的に多く、質的にも難度の高いものが含まれるという傾向にあることからすると、義治が断裁の業務を進めるに当たって被った肉体的、精神的な負担は、それ以前にも増して大きかったものといえる。

なお、被告労基署長は、義治がベテランの断裁工であることを理由に、同人がそれまで日常的に行っていた作業に精神的重圧を感じていたとは到底いえない旨主張するが、長年にわたって従事してきた業務であっても、当該業務の具体的内容や勤務状況等のいかんによって、肉体的ないし精神的な負担を受けることは十分あり得ることであるから、ベテランの断裁工であるとの一事をもって、これを否定するのは実情にそぐわないものといわなければならない。また、被告労基署長は、義治の労働時間が、実働日数及び残業時間数において、同僚労働者である田中留男や鈴木重夫よりも少ないことを主張するが、証拠(甲二二)によれば、田中留男はバインダーの、鈴木重夫は丁合の、それぞれ業務を担当している者であることが認められるから、断裁を担当する義治の労働時間と右両名の労働時間とを単純に比較することは当を得ないものというべきである。

(七) 本件発症当日の勤務状況

本件発症の前夜、義治が帰宅したのは、午後一一時近くになっていたが、義治は、本件発症当日も、午前七時二〇分台に会社に出社した。義治は、当日朝、いつものように、午前五時ころ目をさましたが、何か身体の調子がおかしいような様子で、首を回しながら、「首筋がゴキュンゴキュンという。今日はおかしいな。」とつぶやいた。これを聞きつけた原告が「仕事を休んだら。」というと、義治は、「今休むわけにはいかない。休むとおこられる。」と答え、通常どおり、午前六時過ぎに自宅を出た。

義治は、当日まで「婦人倶楽部」新年号の断裁の作業を始めておらず、当日の始業時から右作業に取りかかる予定であったが、営業担当者から、予定外の仕事として、池田書店依頼の平台を断裁するよう指示され、急きょ、右作業に従事することになった。右平台の断裁は、毎月定例として行っているものではなく、義治は、作業に手間取って、午前九時三〇分ころ、ようやく右作業を終え、トイレに立った。

トイレで発見されたときの義治は、後方の壁に背をもたせかけ、床に尻をつけ、足をやや投げ出すような姿勢で倒れ、意識不明で心肺停止の状態にあり、便器には、大便と紙が残っていた。義治は、救急車で搬送された日本医科大学附属病院救命救急センターにおいて心肺蘇生術の施行を受け、一時心拍が再開したが、その後再び心停止となり、午前一一時四九分死亡が確認された。義治については、CTスキャン、死後解剖のいずれも施行されていない。

(被告労基署長が、義治は一一月二五日から「婦人倶楽部」新年号の断裁作業に従事した旨の主張をしていたのを、義治は「婦人倶楽部」新年号の断裁作業に従事する前に死亡している旨の主張に訂正したことにつき、原告は、右主張の訂正は自白の撤回に当たるものであるから許されないとして、これに異議を述べているが、義治が「婦人倶楽部」新年号の断裁作業に従事したかどうかの事実は、同被告の自白の対象となる事実といえないことは明らかであるから、右主張の訂正は自白の撤回に当たらず、原告の異議には理由がない。)。

3  医学上の知見による本件発症の位置付け

(一) 医学上の知見

証拠(甲五九、六一、乙四三、六〇ないし七〇、丙一)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(1) 脳血管疾患は、頭蓋内血管が何らかの原因によって破裂し、脳組織あるいはそれを取り囲む組織内、すなわち頭蓋内に出血する出血性脳血管疾患と、脳組織を灌流する血管が閉塞又は狭窄を起こして、脳組織への血流が減少あるいは消失する虚血性脳血管疾患の二つに大別される。

出血性脳血管疾患は、頭蓋内の出血する部位によって四つに分類される。すなわち、脳とくも膜の間に出血するくも膜下出血、脳組織の中に出血する脳出血、くも膜と硬膜の間に出血する硬膜下出血、硬膜と頭蓋骨の間に出血する硬膜上出血の四つである。

(2) くも膜下出血の概要は、次のとおりである。

ア くも膜下出血とは、頭蓋内血管の破綻により、血液がくも膜下腔に流入して起こる病態をいう。くも膜下出血の原因疾患には様々なものがあるが、脳動脈瘤の破裂、脳動静脈奇形、脳出血の脳室内への穿破の三者が代表的である。このうち、前二者を原因疾患とするくも膜下出血は、原発性(特発性)くも膜下出血と呼ばれ、くも膜下腔に露出した血管が破綻して起こる。これに対し、脳出血で脳実質内に生じた出血が脳室、ひいて、くも膜下腔に穿破することがあり、このようにして起こったくも膜下出血は、続発性くも膜下出血と呼ばれる。くも膜下出血の原因のうち、最も多いのは脳動脈瘤の破裂であり、全体の五一パーセントを占める。その他の原因としては、高血圧性又は動脈硬化性血管病変(一五パーセント)、脳動静脈奇形(六パーセント)、不明(二二パーセント)である。高血圧性又は動脈硬化性血管病変を原因とするくも膜下出血の八五パーセントは続発性くも膜下出血であり、原発性(特発性)くも膜下出血の場合はまれである。

現在の医学界において、脳動脈瘤の破裂の機序については、先天的に動脈の中膜及び弾力線維の発育不全ないし欠損により動脈壁に薄弱部が存在し、その部分が後天的要因によって脆弱化し、突出膨隆して動脈瘤(ベリー状動脈瘤)ができ、やがて破裂に至るとする見解が有力である。ベリー状動脈瘤は、脳底部諸動脈の、特にウィリス動脈輪前半部や中大脳動脈の近位側の分岐部に好発し、非分岐部には認められなかったとの報告があり、血管分岐部の特殊な構造やこれに伴う血行動態が脳動脈瘤の発生に関与していることが指摘されている。右にいう後天的要因としては、高血圧、生活上の種々の原因による血流増加ないし血圧変動等が挙げられている。

くも膜下出血の好発年齢を見ると、約六〇パーセントが四〇歳ないし六〇歳台であるが、そのなかでも、脳動脈瘤の破裂によるものは五〇歳台が最も多い。

イ くも膜下出血の危険因子(リスクファクター)としては、加齢、高血圧、飲酒、肥満、喫煙、ストレス(過度の肉体労働、精神的緊張の持続、興奮、不眠、親しい者との離別、離婚、失業、破産等の急性ないし慢性の心身の負荷を指す。)等が挙げられる。

このうち、高血圧は、多くの循環器疾患の危険因子として第一に挙げられるものであるが、脳血管疾患では全体的に影響が大きいものとされる。飲酒や肥満は、主として、それが高血圧を助長する効果を持つことによって脳血管疾患一般の危険因子となることが知られている。喫煙が、脳血管疾患一般の危険因子となることも、よく知られている。ストレスの危険因子としての位置付けが問題となるが、脳血管疾患に対してストレスの影響ないし関与が存在すること自体はほとんどの研究者によって容認され、ただ、その関与の程度については、個人的、社会的、時間的変動が大きく、集団又は集団の成員について測定が困難であることが想定されるなどの事情で、一般的結論を下し難い現状にあるため、具体的事例に即し、医学的知見に照らして総合的に判断せざるを得ないとされている。

なお、血清脂質については、食物を過食する者、脂肪、特に飽和脂肪を多く摂る者は、血清中のコレステロールや中性脂肪が高く(高脂血症)、高脂血症が多い地域では虚血性心疾患の発生率が多いといわれているが、脳血管疾患については、血清脂質との関係は明瞭ではない。

(3) 脳出血の概要は、次のとおりである。

ア 脳出血とは、脳動脈の破綻によって脳実質内に出血が起こる病態をいう。脳出血の原因は様々で、高血圧によるものが最も頻度が高いので、しばしば高血圧性脳内出血とも呼ばれるが、高血圧がなくても起こる場合がある。病理学的には、脳出血は、細小動脈の硝子化変性が進行し、血管壁の壊死により微少動脈瘤が形成され、これが破綻に至って発症するものと考えられている。脳出血は、六〇歳台をピークにして、男性に多く見られる。

イ 脳出血の最大の危険因子は高血圧であるが、脳出血例のうちには、高血圧の既往が証明されていないものが、約二五パーセント程度存在する。飲酒、肥満、喫煙、ストレスの危険因子としての位置付けについては、前記(2)イのとおりであるが、血清脂質については、脳出血発生頻度と血清コレステロール値(高脂血症)との間で、むしろ、逆相関関係が見られることが、我が国の各地の成人の調査で明らかになっている。

以上のことは、脳出血を原因とするくも膜下出血(続発性くも膜下出血)について、同様に当てはまる。

(一) 義治のくも膜下出血の原因

証拠(乙二、一〇の2、六〇)によれば、東京都監察医務院の徳留省悟医師は、義治の死亡後、後頭部穿刺によって血性髄液を確認したこと、髄液検査により血性髄液が確認される場合には、原発性くも膜下出血であることが多いが、重症の脳出血が起こったときも、脳室内への穿破のために髄液が高頻度に血性となるので、血性髄液を確認したということだけで原発性くも膜下出血といい切れないことがあることが認められる。

以上の事実に、義治についてはCTスキャンや死後解剖が施行されていないこと(前記2(七))、証拠(乙一二の2、七〇)及び弁論の全趣旨を加えると、義治のくも膜下出血は、脳動脈瘤破裂を原因とするものであった可能性が相当高いこと、しかし、脳出血を原因とするもの、すなわち、脳実質内の出血が脳室内に穿破し、更にくも膜下腔に漏出することによって生じた、続発性くも膜下出血であった可能性も残されていることが認められる。

4  義治の健康状態

(一) 定期健康診断関係

(1) 証拠(乙三五、三六、四四、四五、丙四、五の1ないし3)及び弁論の全趣旨によれば、義治が受けた会社の定期健康診断の結果(以下、「本件健診データ」という。)は、別表(二)及び(三)のとおりであること、定期健康診断は昭和六二年一〇月一三日にも実施されたが、義治は休暇のため受診していないことが認められる。

(2) 証拠(乙六四)によれば、WHO専門委員会の基準において、高血圧は収縮期血圧(単位はミリメートル水銀柱。以下同じ。)一六〇以上、拡張期血圧九五以上のいずれかの条件を満たす場合を、正常血圧は収縮期血圧一三九以下及び拡張期血圧八九以下の両方の条件を満たす場合を、境界域血圧は収縮期血圧一四〇ないし一五九、拡張期血圧九〇ないし九四のいずれかの条件を満たす場合を、それぞれいうことが認められる。

そこで、本件健診データによる義治の血圧値を見ると、昭和五七年四月が一三六/八六、昭和五八年四月が一三〇/八〇、昭和五九年一〇月が一四二/八四、昭和六〇年一〇月が一三八/八六、昭和六一年一〇月が一三五/八〇で、昭和五九年一〇月に軽度の境界域高血圧が認められたほかは、いずれも正常血圧の範囲内にあることが明らかである。以上の血圧値の推移からすれば、昭和五七年四月から昭和六一年一〇月までの期間については、義治に高血圧があったものということはできない。

(3) ところで、本件健診データによれば、義治は、総合判定として、昭和六〇年一〇月に「肝機能異常」の、昭和六一年一〇月に「肝機能異常、高脂血症、アルコール注意、肥満傾向」の、それぞれ指摘を受けているが、これらの指摘について子細に検討すると、次のとおりである。

ア 肝機能関係の検査結果を見ると、昭和六〇年一〇月はGOT(単位はU。以下同じ。)二五、GPT(単位はU。以下同じ。)二四、γGTP(単位はIU/リットル。以下同じ。)一三五、LAP(単位はU。以下同じ。)二四六、昭和六一年一〇月はGOT二五、GPT二二、γGTP一六八、LAP九六であるところ、証拠(丙五の2)及び弁論の全趣旨によれば、GOT及びGPTはいずれも正常値の範囲内であるが、γGTP及びLAPはいずれも正常値を超えていることが認められるので、「肝機能異常」の指摘は、γGTP及びLAPの数値を根拠としてされたものと推認される。そして、証拠(乙七〇)及び弁論の全趣旨によれば、γGTPは被検者の飲酒状態をよく反映することが認められるので、右数値は義治の飲酒傾向を示すものといえ、昭和六一年一〇月の「アルコール注意」は、主としてγGTPの前記のような数値に基づいて行われたものと考えられる。

イ 血清脂質関係の検査結果を見ると、昭和六〇年一〇月は総コレステロール(単位はミリグラム/デシリットル。以下同じ。)二四〇、昭和六一年一〇月は総コレステロール二〇三、トリグリセライド(単位はミリグラム/デシリットル)四六四で、証拠(乙六八、丙五の2)及び弁論の全趣旨によれば、総コレステロールはいずれも正常値の範囲内であるが、昭和六一年一〇月のトリグリセライドが正常値を超えていることが認められるので、後者の健康診断でされた「高脂血症」の指摘は、主としてトリグリセライドの右数値を根拠としてされたものと考えられる。しかし、弁論の全趣旨によれば、食事として摂取された脂肪のほとんどはトリグリセライドであることから、空腹時かどうかによって血液内のトリグリセライド値の高低が直接左右される関係にあることが認められるところ、このような検査条件が満たされていたかどうかは証拠上明らかではなく、他面、総コレステロール値が以上の両時期とも正常値の範囲内であることを併せ考えると、右「高脂血症」の指摘は、厳密な確定診断に基づくものでないことはもとより、定期健康診断というものの性格をしんしゃくして行われた一種の警告的な意味を込めたものと見る余地がある。

ウ このほか、昭和六一年一〇月には「肥満傾向」の指摘を受けているので、この点について見てみると、本件健診データによれば、義治は身長がほぼ一貫して一五九センチメートルであるのに対して、体重は、昭和五七年四月が六二キログラム、昭和五八年四月が六〇キログラム、昭和五九年一〇月が六四キログラム、昭和六〇年一〇月が六五キログラム、昭和六一年一〇月が六五キログラムという推移を示している。これによれば、昭和五七年四月から昭和六一年一〇月までの四年六月間で、体重は三キログラム増えていることが明らかであり、身長に対する体重の比率を併せ考えれば、昭和六一年一〇月当時、やや肥満の傾向にあったものといえる。そして、本件発症当時の義治の体重の状況については、「ちょっと太っているかなって感じで、あとは普通だと思っています。」との原告本人の供述があるのみで、昭和六一年一〇月当時から体重に何らかの目立った変化があったことを認めるに足りる証拠が存しないことに照らすと(甲第一一号証(原告作成の昭和六三年一一月二一日付け陳述書))及び原告本人の供述中には、本件発症当時の義治の体重を約六〇キログラムくらいとする部分があるが、原告本人の供述によれば、右数字は、単なる当て推量に基づくものであることが認められる。)、本件発症当時の体重も、昭和六一年一〇月当時と同程度であったものと推認される。

(二) 医療機関への受診状況

義治の生前の医療機関への受診状況を見てみると、次のとおりである。

(1) 証拠(乙七、二一、原告本人)によれば、義治は、昭和五二年夏ころから昭和五三年二月ころまで会社を休み、右期間中の昭和五二年一一月から昭和五三年一月までの三か月間、甲状腺機能亢進症のため入院治療を受けたことが認められる。

しかし、右甲状腺機能亢進症が義治の本件発症に対していかなる関係を持つかについては、本件全証拠によっても、これを明らかにすることはできない。

(2) 証拠(乙一八、二一、二九の1、2、三八)によれば、義治は、昭和五四年七月会社のトイレでめまいを覚えたため、同月二一日同愛記念病院に受診し、同日から昭和六〇年四月までの間、「めまい、肝機能障害、慢性胃炎」の症病名により、月に一、二回の割合で同病院に通院したこと、この間の昭和五九年一一月から一二月にかけて、高血圧治療剤とされるヘルベッサー及び脳代謝改善剤とされるブレンディールの処方を受けたこと、右通院期間中の昭和六〇年一月ころ、仕事をしていてもしっかり物を持てなくなったとの理由で、同月二七日から同年四月一日ころまで会社を休んだこと、同病院の渡邉晴雄医師は、飯田橋労働基準監督署長に対し、平成元年三月三日付けで、「アルコールの影響があったと思われる(肝機能障害を伴う。)。」、「高血圧傾向もあった。」との記載を含む意見書を提出したことが認められる。

以上の事実中、義治が昭和五九年一一月から一二月にかけての期間、同病院から高血圧の治療剤とされるヘルベッサーの処方を受けたこと、同病院の渡邊晴雄医師の意見書中に「高血圧傾向もあった。」旨の記載があることからすれば、右ヘルベッサーの処方当時、義治に高血圧を疑わせる徴候があったものと推認することができる。しかし、以上の事実だけから、進んで、当時、義治に高血圧があったものと認めるには、なお証拠が足りない。

また、右意見書中に「アルコールの影響があったと思われる(肝機能障害を伴う。)。」旨の記載があることからすれば、右通院期間中、義治に、飲酒の影響による肝機能障害があった事実を認めることができるが、右肝機能障害がどの程度のものであったかについては、これを認めるに足りる的確な証拠がない。

(3) 証拠(甲一一、二四、乙一六、二一、三九(甲八と同じ。)、四四、四五、原告本人)によれば、義治は、昭和六〇年六月二六日から昭和六二年一一月一四日までの間、「神経症性うつ病」の症病名で虎の門神経科龍医院に通院したこと、義治は、この間、同医院から神経症やうつ病の治療薬とされるセパゾン及びノリトレンの処方を受けたこと、セパゾンについては、起こることがある副作用として血圧降下が挙げられ、ノリトレンについては、よく起こる副作用としてではないが、重い副作用として血圧の上昇・下降が挙げられていることが認められる。

そうすると、セパゾン及びノリトレンの右副作用に照らして、本件健診データの義治の血圧値のうち昭和六〇年一〇月以降のものは、虎の門神経科龍医院から処方を受けた薬剤の副作用の結果降下したことによるものであって、当時の義治の本来の血圧値はもっと高かったのではないかとの疑いを容れる余地が全くないとはいえないが、右疑いはあくまでも可能性の域にとどまるものに過ぎないから、右薬剤の処方がなかったならば、右処方当時、義治には高血圧があったものと断定することはできない。

(三) 喫煙及び飲酒の有無・程度

(1) 証拠(甲一一、原告本人)によれば、義治はたばこを吸っていなかったことが認められる。

(2) 証拠(甲一一、乙二一ないし二三、証人永井正吉、原告本人)によれば、義治は、会社から帰宅後、夜食を摂るとともに、ほぼ毎晩、晩酌をしていたが、一回の晩酌の酒量は、ビールを一本と焼酎サワーをコップ二杯程度であったこと、このほか、義治は、会社従業員の宴会があるときなどでは、よく酒を飲んでいたことが認められる。

(四) 義治における危険因子の検討

義治のくも膜下出血の発症に関する危険因子を見てみると、次のとおりである。

(1) 加齢

義治は、本件発症当時、五三歳であったから、くも膜下出血、特に脳動脈瘤破裂によるものの発症が多い年齢に当たっている(前記3(一)(2)ア、(3)ア)。

(2) 高血圧

まず、高血圧は、脳血管疾患では全体的に影響が大きいものとされるものであるが、義治について、昭和五七年四月から昭和六一年一〇月までの期間、高血圧があったものということはできず(前記(一)(2))、その後高血圧になったことを認めるに足りる証拠はないから、義治における危険因子としての高血圧の存在は否定される。

(3) 飲酒

義治の飲酒の程度(前記(三)(2))及び飲酒の影響によると考えられる肝機能異常(同(一)(3)ア)ないし肝機能障害(同(二)(2))の事実からすると、危険因子としての飲酒の存在は肯定されるが、飲酒が脳血管疾患一般の危険因子となるのは、主として、それが高血圧を助長する効果を持つことによってであるから(同3(一)(2)イ)、高血圧の存在が否定される本件の事実関係の下では、義治における飲酒の危険因子としての重みは、結局、それほど大きいものではないことに帰する。

(4) 肥満

義治が、本件発症以前から、肥満の傾向にあったことは事実であるが(前記(一)(3)ウ)、それは、やや肥満という程度であったこと、肥満が脳血管疾患一般の危険因子となるのは、飲酒と同様、主として、それが高血圧を助長する効果を持つことによってであること(同3(一)(2)イ)を併せ考えると、義治における肥満の危険因子としての重みも、それほど大きいものということはできない。

(5) 喫煙

義治は、たばこを吸っていなかったものである(前記(三)(1))。

(6) ストレス

義治は、本件発症の直前までの約二年五か月間、「神経症性うつ病」の症病名で虎の門神経科龍医院に通院していたが(前記(二)(3))、証拠(甲一一、二四、乙二一、原告本人)によれば、これは、義治の私生活上の問題ではなく、会社における人間関係の問題(同2(三))に起因してうつ状態になったことによるものと推認されるから、右通院の事実をとらえて、危険因子として、私生活に由来するストレスを想定することはできない。

(7) 高脂血症

義治は、会社の定期健康診断で「高脂血症」の指摘を受けているところ(前記(一)(3)イ)、丙第一号証(浦田純一医師作成の平成五年六月三日付け「鑑定書の提出について」と題する書面)中には、あたかも高脂血症がくも膜下出血の危険因子であるかのごとき記載があることが認められる。しかし、脳血管疾患については血清脂質との関係は明瞭ではなく(同3(一)(2)イ)、脳出血発生頻度と血清コレステロール値(高脂血症)との間では、むしろ、逆相関関係が見られるのであるから(同3(一)(3)イ)、高脂血症をくも膜下出血の危険因子に当たるとすることは相当ではなく、義治が仮に高脂血症であったとしても、右事実を本件発症の危険因子と見ることはできない。

5  本件発症の業務起因性

(一) 労災保険法に基づく保険給付は、労働者の「業務上」の死亡について行われるが(同法七条一項一号)、労働者が「業務上」死亡したといえるためには、業務と死亡との間に相当因果関係のあることが必要である(最高裁第二小法廷昭和五一年一一月一二日判決・判例時報八三七号三四頁参照)。

前記3(一)の判示内容に照らして考えると、くも膜下出血は、その原因が脳動脈瘤の破裂であれ、脳出血の脳室への穿破であれ、その発症の基礎となる動脈瘤ないし血管病変が存在し、これが種々の危険因子の集積によって増悪し発症に至るものであるから、ある業務に従事していた者がくも膜下出血によって死亡した場合において、右発症が業務上のものであること、すなわち、業務とくも膜下出血の発症との間に相当因果関係を肯定するためには、当該業務が、くも膜下出血の発症を、自然経過を超えて、急激に著しく促進させるに足りる程度の過重負荷となっていたものと認定できることを要し、かつ、それで足りるものと解するのが相当である。けだし、右のような場合には、当該業務に内在ないし通常随伴する危険が、それ以外の発症の原因と比較して相対的に有力な原因となっていたものと評価することができるからである。

(二)  そして、(1) 本件発症前に義治が従事した業務の内容、勤務状況等が前記1、2判示のとおりであること、特に、ア 義治の従事していた断裁業務、とりわけ②の作業が、それ自体として、肉体的、精神的な負担の大きいものであったこと、イ 一一月一〇日以降、会社の事業内容は年間で最も繁忙な時期に入っていて、この時期の断裁業務の対象となるものが量的に多く、質的にも難度の高いものが含まれるという傾向にあったため、義治は、連日午後八時過ぎまでの残業を余儀なくされたこと、ウ にもかかわらず、本件発症直前の三日間については、それまで義治の業務の一部を手伝っていた助手が連続して休んだため、義治は、①ないし③の作業のすべてを残業終了に至るまで単独で進めなければならず、それ以前にも増して大きい、肉体的、精神的な負担を被ったこと、他方、(2) 義治の本件発症にかかる危険因子の有無及び具体的内容は前記4判示のとおりであって、結局、年齢以外には、さほど有意とすべきものは見あたらないこと、以上の事実に照らすと、本件においては、義治の業務が、くも膜下出血の発症を、自然経過を超えて、急激に著しく促進させるに足りる程度の過重負荷となったこと、このような過重負荷が、義治の有していた動脈瘤ないし血管病変を、自然経過を超えて、急激に著しく増悪させた結果、本件発症に至ったものと認めることができる。

そうすると、義治の業務と本件発症との間には相当因果関係があるものというべきである。

(三) 以上によれば、本件発症については、業務起因性が認められるところ、これと異なる見解に立って被告労基署長がした本件処分は違法であるから、取消しを免れない。

二  被告審査官に対する訴えについて

前記一のとおり、原処分である本件処分が取消しを免れない以上、原告は、これによって、本件処分を不服としてした審査請求に対する裁決(本件決定)の取消しを求める法律上の利益を有しないこととなることは明らかである。したがって、被告審査官に対する訴えは、その余の点について判断するまでもなく、却下を免れない。

三  よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官福岡右武 裁判官飯島健太郎 裁判官西理香)

別表(一)〜(三)<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例